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![]() ![]() 『富士福来大国主尊』 ![]() 子之神社に伝わる大国像の正式名称は『富士福来大国主尊(ふじふくらいおおくにぬしそん)』は後醍醐天皇の玄孫の宮、小倉宮尊成親王が、重臣であった穂積大和守重勝が宮司を務める、子之神社を訪れ、社の森の梟の声を聞き、此れを「あずまじを、わがこへくれば、ひなのさと、ふくぞきたらむ、みつかひのこへ。」との和歌に認められ、それを瑞祥とされ、森の神木により、大国主命の尊像を自ら刻されたとのご由緒を持つ像です 穂積大和守重勝 はこの像を『富士福来大国主尊』と名付け、富士山型の厨子に納めご神体としてお祀りし、宮司職を受け継ぎ初世穂積天佑となります。 かの徳川家康公も豊臣秀吉公の命により、江戸に移られる途上、子之神社に立ち寄り『富士福来大国主尊』に拝礼され、その証として背後に手植えられた松が、昭和四十年まで聳えていたお宮の大松です。 ![]() この度、その霊験は「富士の高嶺に登るが如き」と称される、神像の分身を神縁の方にお授けすることになりました。 分身像の体内には神木「桧」を用いた形代が収まります。 その表面にはお求めになる方の願いが神代文字で配され、一体一体最勝王法神道大護摩による御霊入れの儀を経てお届けとなります。 商品は原寸大象、富士山型厨子と尊像が一体となった2種よりお選び頂けます。 ![]() ![]() 像に内包される形代には、神代文字(かみよもじ)で願望が拝されています。 ![]() 神代より伝わったとされる神代文字は文字そのものに絶大な神徳が宿るとされる特別な文字です。 ![]() ![]()
ニギハヤヒ(饒速日)は日本の初代王とされ、 神々の御名とされています。 ニギハヤヒのご本尊
穂積天祐(天佑宜龍大彦之尊) ・古神道宗家 布留乃惟神之大道 (フルノカムナガラノオオミチ)第七十四世総斎主 ・役行者御直伝 陰陽孔雀明王之秘法継承 第五十三世総 修法師 ・後醍醐天皇王孫 ・日本最古占術『天津神占』継承主 ・宮中伝統祭儀有職研究家 子之神社第五十三代正統最終宮司 ・万葉倭歌道 飛鳥葛城流第五十三世 家元 ・天社陰陽道菅原宮内派第十三代宗家陰陽師 二千数百年の歴史を有する古神道の正当を継承する、我が国屈指の由緒ある神職家を継承。 連綿と受け継がれてきた伝来の秘法・秘術により、人々の願いに応じて数々の祈祷・禁厭・神占を執行。 古くからの神官家である穂積家は古代期の代々の天皇家及び南北朝時代の南朝天皇家(大覚寺統)にも使えた国内屈指の神職家であり、その伝統と秘法、高貴なる系譜を受け継いでいる。 ![]() 子之神社《ご由緒》 遙か太古の昔、大海原の彼方から、龍王、妃、王子の三柱の神々が、荒藺乃崎(現在の真鶴岬)に御船に乗られて御出でになり、当地を開拓されたと伝えられています。 その後、文武天皇4年(西暦700)、役行者と共に、当地を訪れた御杖代・穂積濃美麻呂卿が、師である役行者と共に、陰陽の秘法を以て、金剛蔵王権現、弁財天、子守大明神をお祀りしたのが当神社の創祀であり、その折に、当地に「霊妙なる薬湯」を見出したのが、現在の湯河原温泉の始まりと伝えられています。
その後、当地の豪族、荒井刑部實継公一党の崇敬が篤く、その主君、源義家公、その子孫、源頼朝公、源義経公も、篤い信仰を寄せました。 ![]() 4つの型からお選びください 1財運招来 ![]() 2厄除け ![]() 3良縁 ![]() 4悪縁切り ![]() ![]() 子之神社御祈祷『富士福来大国主尊』 厨子一体型 販売価格:税込55,000円 大きさ 本体 約 20×14×14センチ 重量 約 830グラム 材質 桧 形代×1 開眼供養証明書 化粧箱付き ![]() ![]() 子之神社御祈祷『富士福来大国主尊』(原寸サイズ) (厨子 体型 セパレート型) 販売価格:税込113,000円 大きさ 本体 約 18×14×14センチ 富士山型厨子30×20×17.8センチ 総重量 約 1639グラム 材質 桧 形代×1 開眼供養証明書 化粧箱付き |
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