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災いや病を防ぐ鬼の像 家内安全のご利益をあなたに

「元三大師降魔尊像」開眼

書道妙法寺祈祷開眼『元三大師降魔尊像』



1300年近い歴史を誇る天台宗妙法寺(香川県丸亀市)は、丸亀駅からほど近い立地で与謝蕪村の襖絵などを所蔵することから、別名「蕪村寺」とも呼ばれる古刹です。

蕪村寺と呼ばれるきっかけは明和5(1710)年、讃岐を訪れた与謝蕪村が、妙法寺に逗留し「蘇鉄図」「寒山拾得図」を始めとする6作品を遺したことに由来するものです。

また、境内の「崩れ石の庭」は小堀遠州の築堤によりものと伝わります。

こうした文化的、芸術的側面で親しまれている妙法寺の、宗教的特徴は元三大師(がんざんだいし)の名で知られる第18世天台座主(天台宗の最高位)、比叡山延暦寺の中興の祖である慈恵大師 良源(912年10月15日-985年1月26日)ゆかりの寺であることです。



良源といえば角大師の護符が有名ですが、当時この護符を用い疾病を鎮めた逸話からコロナ禍の時にこの護符が再び大きな注目を集めたことは記憶に新しいことと思います。



角大師の護符が生まれたのは貞観2(984)年、良源が73歳のころことです。世に疫病が蔓延し人々は苦しみに暮れていました。

ある風雨の夜、坐禅を行じていたこ良源の前に疾病を司る厄神が現れ「良源も病に罹られなければならない」と告げます。

良源はそれもまた止むなしといって左の小指を差し出すと、厄神がその指に触れました。すると良源の身体は忽ち高熱を発し、耐え難い苦痛に苛まれます。

良源が弟子たちを従え、深い禅定 に入ると鏡には角をはやした姿が映った



しかし、心を鎮め念佛を唱え、弾指(たんじ)したところ、厄神ははじき出され、脱兎のごとく逃げだしたそうです。

すると、たちどころに良源の熱は下がり、苦痛は癒えました。厄神のもたらす苦痛の凄まじさを知った良源は、この苦しみを祓う術を知らぬ人々のことを念じ直ぐに弟子たちを集めます。

良源が大きな鏡の前で静かに禅定に入りました。



このようなエピソードを聞くと良源はとても怖い顔の人物を連想してしまいますが、実際には大変な美男子だったため、宮中の女官にも大人気で、余りに騒がれるので豆のように小さな姿に化身(=豆大師)して宮中の御用を済ませたこともあるそうです。


一方、ある桜のころ宮中で花見をしていると女官たちに見つかってしまいます。
喜ぶ女官たちを前に良源は「良い花見ができた。お礼に得意の百面相をお目に掛けよるので、顔を伏せてくれないか」告げます。

女官たちが顔を伏せて待っていると、良源が「顔を上げるように」と言いました。



顔を上げた女官たちは恐ろしい鬼に姿を変えた良源が映り、畏れ慄きひれ伏したとされます。その時の姿は厄除のお大師様=鬼大師として護符になりました。

以来、鬼大師の護符を貼った家は家内から福が逃げないとして角大師の護符と並び重用されるようになりました。

妙法寺の寺宝とも 呼ぶべき逸品を忠実に再現。 開眼供養を賜りお届けします!

妙法寺にはこの鬼大師になった良源の姿を彫った『元三大師降魔尊像』が所蔵されています。

鬼大師の木彫り像は江戸期のものとしては全国でも数例しかない貴重なものです。この像は宝永7(1710)年に日光山輪王寺(現在の栃木県日光市)より当時の御住職が拝領を受け讃岐の国まで持ち帰った由緒ある尊像です。



輪王寺への参勤は、片道約60日間(往復約120日間)の道程だったとされます。『由来記板』が現存し、由緒来歴が明確なことから丸『元三大師降魔尊像』亀市指定文化財となっています。

今回、ご紹介する妙法寺祈祷開眼『元三大師降魔尊像』は、希少な文化財であるにも関わらず、妙法寺のご了承を得て、実像の3Dスキャニングを実施。

その精密データをもとに最新鋭の多軸式細密彫刻機で木彫り像として再現、更に職人が表面研磨やノミ入れを行い、最後に手筆で彩色を施し制作される分身像です。正に最新のデジタル技術、メカトロニクス、伝統的職人技を駆使して始めて完成する高度な木彫り像なのです。

妙法寺の寺宝「元三大師降魔尊像」を忠実に再現。開眼供養を厳修してお届けします!



妙法寺にはこの鬼大師になった良源の姿を彫った『元三大師降魔尊像』が所蔵されています。鬼大師の御像は全国でも数例しか確認されていない貴重なものです。

妙法寺の降魔尊像は、宝永7(1710)年に日光山輪王寺門跡(現在の栃木県日光市)より当時の妙法寺住職が拝領し、讃岐・丸亀まで持ち帰った由緒ある尊像です。

日光へ参勤は、片道約60日間(往復約120日間)の道程だったと伝わっていいます。妙法寺には『元三大師由来記板』が現存し、日光から拝領した由緒来歴が明確なことから、『元三大師降魔尊像』は昭和51年(1976)に丸亀市指定文化財となっています。

天台宗 妙法寺 ご由緒


天平年間(729〜749)に行基菩薩が現在の三豊市豊浜町にお堂を建立したことが開基。慶長2(1597)年に丸亀城主生駒親正公の命により現在の地に移転。寛文6(1666)年に徳川幕府の命により日蓮宗不受不施派から天台宗に改宗。



境内の「崩れ石の庭」は伝承によれば江戸時代初期に小堀遠州が築堤したもの。江戸時代半ばには俳人・画家の与謝蕪村が滞在し「蘇鉄図」など大作6点を残したことから、以来「蕪村寺」と呼ばれ親しまれている。丸亀藩京極家の祈願所でもあり、シンボルの勅使門(山門)は令和5(2023)年、国の登録有形文化財に指定。


本像は360度からお参りして鑑賞できますので、妙法寺の元三大師降魔尊像の容姿の特徴をみてみましょう。



○桧の一木造で彫られ、仕上げに黒く着色されている【レプリカは要確認】。
○つま先立てで姿勢が前のめりで、これは悪魔と戦う姿勢を表していると考えられる。

○両手を膝に置き、右手に密教で用いる独鈷を持つ。つまり、厄災を打ち破る法具でもって悪魔を降伏させている。

○お顔の比率が大きく、頭頂部に宝珠を載せ、巻髪(けんぱつ)に両サイドから大きな角が生えている。


○眼は大きく見開き、真言呪力を発するがごとくに口を大きく開ける。
○鼻も大きくて高い。口元は、獣のような歯の奥に、赤く塗られた口内がひときわ目を引く。

○降魔像の背中はあばら骨が隆起している。後部のお姿は、普段の正面からの参拝では絶対に見られないアングルである。



○降魔像は、良源が禅定中に鏡に映っていた僧侶の姿から夜叉(鬼)に変化したもの(鬼大師)をベースに作られている。高僧の法力でもって鏡に映っていた姿が変身したという、唯一無二の形態の御像である。




妙法寺の寺宝とも呼ぶべき逸品を忠実に再現。開眼供養を賜りお届けします!

妙法寺にはこの鬼大師になった良源の姿を彫った『元三大師降魔尊像』が所蔵されています。

鬼大師の木彫り像は江戸期のものとしては全国でも数例しかない貴重なものです。

この像は宝永7(1710)年に日光山輪王寺(現在の栃木県日光市)より当時の御住職が拝領を受け讃岐の国まで持ち帰った由緒ある尊像です。
輪王寺への参勤は、片道約60日間(往復約120日間)の道程だったとされます。『由来記板』が現存し、由緒来歴が明確なことから丸『元三大師降魔尊像』亀市指定文化財となっています。

今回、ご紹介する妙法寺祈祷開眼『元三大師降魔尊像』は、希少な文化財であるにも関わらず、妙法寺のご了承を得て、実像の3Dスキャニングを実施。

その精密データをもとに最新鋭の多軸式細密彫刻機で木彫り像として再現、更に職人が表面研磨やノミ入れを行い、最後に手筆で彩色を施し制作される分身像です。

正に最新のデジタル技術、メカトロニクス、伝統的職人技を駆使して始めて完成する高度な木彫り像なのです。



小サイズ 39,800円(税込)


大サイズ 原寸大 120,000円(税込)


小サイズ
大きさ 約 7.5×7×12.7センチ
台座 10×8.5×1.9センチ
重量 約200グラム
材質 桧、そのほか
簡易説明書 化粧箱付き

大サイズ 原寸大
大きさ 約 10.5×10.2×19.3センチ
台座 15×12.5×2.8センチ
重量 約200グラム
材質 桧、そのほか
簡易説明書 化粧箱付き

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